フィズ

 24時以降に眠りにつくと翌朝に響く。起きられない。いつもよりだいぶ遅い8時ごろに目が覚める。あとはふわふわと一日を過ごす。ぼんやりとしているのは、昨日の出来事が原因ではあろうが、それがすべてなわけでもない。単純に疲れているのだろう。昨日の総歩距離はiPhoneによれば14キロとのこと。サンダルでよく歩いたものだ。

 日没近くになってようやく家の外に出る。夏の匂いがする。空気が湿っている。昨日の参道は木々の爽やかで生っぽい匂いがしたのを思い出す。今日の空はレモンフィズのような色をしていた。ベースの灰色に黄色が上にのっている。フィズの色をした空を正面に9時方向に目を向けると空には月が浮かんでいる。この夏はぜひ日が暮れる頃合いにゆっくりと歩きたいと思う。できれば海岸線を。それが無理でも、一人でどこか遠い場所の夕暮れを。

 

 書かざるを得ない、というのは異常だと思う。息を吸うようにこの場所で私は書いている。異常だ。私にとって頭の中を整理するための手段であり、世界を識るための手段であるので仕方ないが、本当に、息を吸って吐くように書いている。そういう自分が分からない、というかどう扱えばいいかわからないときがある。まあ、扱おうと思わなくていいか。

 

 人が死にゆく場面を映像や写真で追体験するというのは気分が良いものではない。ある地点ではその人は生きていて、少し経ったある時点ではその人は死んでいる(死亡と判断されたのはもう少し後のこととはいえ)。人間が死ぬということがよくわからない。ということは、裏を返せば人間が生きているということもわかっていないということで、確かに、実感は持てないことだし、形がはっきりしないものなのかもしれない。同時に、いなくなってほしいと願うほどの強い憤りもわからないし、それを持て余しながら生きる理性のようなものもわからない。あの瞬間、色々な人たちの感情が弾けた。どれも想像でしか触れることができず、ああ、わからない、わからないと馬鹿みたいに言いながら、ぼんやりと怠惰な一日を過ごした。

 そういや昨日はおいしいアイスコーヒーを飲んだ。加糖なので最初から甘い。ミルクは自分で注いだ。ストローでからからと混ぜた。かき混ぜたときに氷が涼やかに鳴るのがアイスコーヒーの良さだ。べったりと甘く、飲みやすく冷たいコーヒー。コーヒーがおいしかったということはわかるのだけどなあ。またおいしいコーヒーを飲みたい。夏だからね。

 世の中、難しいことばかりだ。難しいことを難しいねと言うためにも、やっぱり言葉にすることが私には必要だ。