生傷

 今日は何を言っても駄目な一日で、じゃあ書かない方が良くない? という気持ちがありつつ書くというのが私の業である。

 私の言いたいことが完璧に相手に伝わることはないし、逆に相手の言いたいことを完璧に理解することはできない。

 昔から「生傷」が絶えない。

 言葉を発するたびに体に傷がつく感じだ。そして同時に相手も傷つけている気がする。他者と関わるということはそういうことなのだと思うようになってから何年経っただろう、傷は依然として絶えないがあんまり痛みは感じなくなった。そして誰かを傷つけているということにも鈍感になった気がする。良いことではない。私は化け物に近づいているのかもしれない。

 このブログの前身は『ベランダの実験室』という(多分)。私はベランダが好きだし(また言う)自分の思考の天日干しが必要だと思ってたからそういうタイトルにした。

 誰かを傷つけたとしても、自分をもっとましなものにできるなら「矯正」したい。だから私は黙らない。黙ることができない。自分の言葉をほかならず自分が監視するために。

 決定的な一言というのがあると思っている。言ってはいけないことを言った、みたいなやつだ。私はその「決定的な一言」を自分が言っているのではないかと思って怖くて仕方がない。自分の気づかぬところで幻滅されたらどうしようという気持ちが消えない。他人は許してくれない。私は許せるようにありたい。でも、他人は許してくれない。

 黙ることができないということと、話すことは基本的にリスクだ、ということの矛盾に耐えられなくなりパニックになる、ということが偶にある。何を言っても駄目な日ってやつだ。そういう日は喋らない方がいいし、考え込まない方がいいってことに気づいたのは本当にここ数年のことだ。

 

 ということで、考え事はやめて体を動かすことにする。