ルイボスティーは捗らない

 嫌いなお茶というものが私にはない、気がする。少なくとも、今のところは。ご飯、お米に対して好悪の感情が湧かないのと同じように。でもご飯は私大好きだな。そう、ご飯が嫌いという人も世の中にはいるだろう。ただご飯や茶との距離感と、肉との距離感は違う、と思う。お茶というのは昔からすぐそばにある飲み物だった。緑茶、紅茶、烏龍茶、麦茶、ほうじ茶…。

 日頃から茶なるものを飲む私、一リットルの紙パックに長めのストローをぶっ差して飲むという暴挙をいまだにやっている(私が高校生のとき、教室は五百ミリリットルのリプトンやらバンホーテンのココアを片手に昼休みを楽しむ級友で賑わっていたものだ)。普段は緑茶やほうじ茶を飲むが、たまにはとルイボスティーにも手を伸ばす。

 ルイボスティー

 麦茶や烏龍茶と同じ一リットルであるはずなのに、面白いほど量が減らない。他の茶に比べ明らかに減りがゆっくりであることが体感的にわかる。

 私はお茶のことが嫌いだなんて認めたくないので「ルイボスティーのこと、私嫌いだわ」なんて言わないし、事実嫌いでも苦手でもないのだ。ちょっと癖が強い味だとは思うが…。ルイボスティーはただ飲みにくいのだ*1

 飲みにくい。茶としてこの個性はいかがなものか。もちろん味というのは主観的な側面があり、ルイボスティーが好きでごくごく飲めるという人もいるだろうし、もしかしたらそれがメジャーなのかもしれない。コンビニの陳列棚に並べられた茶のパックの量ではパッと見たところ人気度を推し量ることはできない。ただこれも主観的な印象として、ルイボスティーは日本のお茶界隈では少なくともメジャーではないし、緑茶より「敵」を作りそうとも思う。独特な味だ。

 (飲むことに)捗らないという点で、私はこのお茶のことを好きになり始めている。まったくもって面白い奴だ。これからも時々思い出したように飲むだろう。そして飲む度に私はこのお茶の捗らなさについて想い馳せる。

*1:でももしかしたら商品の個性かもしれない。飲みやすいルイボスティーもきっとある