道程

 小学生だった私たちは、何か月後かに入学することになる中学校までぞろぞろと歩いて向かっていた。傍目から見ればそれはピクニックに見えなくもない、賑やかな隊列だっただろう(だって私たちはあともう少し経ったら「中学生」になれるのだから!)。未来への期待や好奇心がそこら中にまき散らされ、もしかしたら道行く歩行者のうち何人かは微笑ましい光景だと思ったかもしれない。そんな隊列の中に私ももちろんいた。私は、自分が行くはずである中学校の制服が嫌いではなかった。

 クリーム色のべったりとした床と同じ色の壁に囲まれた箱の中で、私たちは試験を受けることになった。床と壁がクリーム色であること以外は、慣れ親しんだ小学校の教室と何一つ変わらなかった。だから怖くはなかった。テストも、怖くはなかった。

 国語や算数など、色々な科目の問題が混ざった総合問題形式のテストだったと思う。テストの手ごたえや難しさなどはまったく覚えていないけれど(所詮は公立中学のテストで、せいぜい利用するとしたらクラス決めぐらいだろうと当時から私は理解はしていた)一つだけ覚えていることがある。それは国語の問題で、高村光太郎の『道程』という詩が載っていたこと。

 それから十数年後、私は一人、本棚の前に立っている。本棚は古書店の外の壁に備え付けられたもので、そこにはびっしりと古い本が収まっている。夏目漱石芥川龍之介森鴎外萩原朔太郎…。その中に高村光太郎の詩集『道程』もあった。『道程』は箱に入っていた。さて、それは記憶の中にある『道程』と同じものであるか、私は俄かに気になった。本棚に手を伸ばし『道程』を引き抜く。さらには箱から本を出そうと力をこめる。力を入れないと取り出せなさそうだったからだ。と、力を入れすぎたあまり、手のひらから箱は抜け飛んでいってしまった。『道程』はどさりと地面に落ちた。慌てて拾いあげると、角が少しへこみ汚れてしまっているようだった。私は思わずため息をついた。仕方ない。箱をひっくり返すと値札が付いていて500円ほどだった。安すぎる。これはもう、買うしかないと思った。

 道は何もないところには生まれない。必ず誰かが通らなければ道にはならない。そしてその「誰か」は複数であったほうがいい。何度も何度も繰り返し歩かれなければならないから。道はそうやってできる。道のはじまりを説いた詩だ、その通りだな。あのとき12歳の私は確かに首肯して、だから唯一『道程』のことは覚えていた。

 古書店の店内は薄暗く、想像以上に奥行きがあるようだった。図書館のように本棚が整然と並んでいて、その様子に私は少し緊張した。入口すぐのところに一枚板張られた台があって、そこがお会計の場所であるようだった。店主は私に背を向けてパソコンのモニターを見ていた。それを眺めながら「古書店といっても現代的なものだな」と失礼ながら思った。

 すいませんと声をかけると、思ったより人懐っこい声で店主が反応した。店主は、500円です、と言った。私は財布をひらいて小銭を探した。そして500円玉をコトリと置いた(なんと魅惑的な音)。

 こうして私は『道程』を手にした。バッグに入れるのが面倒で、しばらくはそのまま右手で持って歩いていた。私の目の前にはただまっすぐな、しかし先が見えない道が伸びていた。