スケジュール帳

 私が使っている無印良品のフリースケジュール帳はその名の通りスケジュール帳の枠だけがひたすら印刷されているノートで、思うままに日付を入れていくものだ。

 2019年4月から始まり、2021年6月時点でまだ終わらない。12か月どころの騒ぎではない。毎月自分で日付を入れていく。この作業を始めてから、私は数字が上手に書けるようになったと思う。自分の数字の書き方、悪くないと思っている。

 2021年4月のページを見てみよう。真っ白だ。具体的には日付だけ振られていて、あとは何も書かれていない。だってその月は一度もスケジュール帳を開かなかったから。

 何か嫌なことがあったわけではなくて、書きたい気分になれなかっただけだと思う。私ってばそういうところがあるんだ。むしろそういうことばかりなんだ。

 2021年6月。私は再びスケジュール帳を開く。5月も結局一度も触ってないから、実に二か月ぶりである。さて、捨ててないはずなのだけど、どこにあるだろうか。探すところから始まった。本の山の中に紛れ込んでいた。ついでに下層に埋もれていて未読の本も引っ張り出しておいた。作ったことはないけれど、なんだがぬか床みたいだな。

 私は早速6月2日のところに書き始める。

 トムヤムクンヌードル

 フレンチブルドック

 それだけで未来の私は2021年6月2日に何があったのか理解するだろう。トムヤムクンヌードルはおいしかったし、フレンチブルドッグは可愛かった。一日の内容としてはそれで十分だ。

 私は一日一日を宝物みたいな何かで埋めていく。

 真っ白な5月は気が向いたときに日記と記憶から埋めていけばいいと思うけれど、とりあえず寂しいので、このブログの投降した記事のタイトルを書いていく。書かないよりは書いたほうがマシ。白紙のスケジュール帳が埋まっていく。

 

 結局私のモチベーションというのは「一日を無為に過ごしたくない」に尽きるのだろうと思う。この言葉を思う時、私は決まって自分が通っていた中学校の体育館を思い浮かべる。校門をくぐればすぐに体育館があった。茶色のかまぼこの断面みたいな入り口の体育館が。その茶色と地面のアスファルトのグレーと「無為に過ごす勿れ」という警句。今の私よりあの頃の私の方が忙しく、同時に退屈だった。一日が砂のようにさらさらと消えていくことに耐えられなかった。人間、いつか死ぬというのに。

 文章を書くのも、写真を撮るのも、スケジュール帳を埋めるのも、畢竟、一日を繋ぎとめておきたいという欲望でしかない。私のやりたいことは昔からさほど変わっていないのだろうと思う。

 今日も終わる。また砂が落ちていく。