奥武蔵自然歩道

 飯能駅へ。

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 初めて訪れる街。駅にはホームが並んでいてそれなりに大きい駅。ここから秩父の奥まで行けるのだろうか。直感で「いい感じの駅だ」と思ったので、気が向いたらまた訪れたい場所としてメモしておく。ムーミンムーミンムーミン、という熱気も感じたが、私の目的地はムーミンではないのでバス待ちで賑わう人々を横目に駅をあとにする。

 

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 サーロインステーキ食べ放題。私も食べ放題してみたいのだが。残念ながらこちらも目的地ではない。今日はハイキングをしに来たのだ。

 

奥武蔵自然歩道

 飯能駅または東飯能駅から毛呂駅もしくは東毛呂駅間で歩けるコース。一応パンフレットには「飯能駅から美しい自然を楽しみながら歩ける、子どもから高齢者向けの評判コース」とある。私もそれを信じ「よし!歩こう!」ということになった。

 行程は、6時間15分とのこと。私の場合は9時半くらいから歩き始め15時半には駅に着いていたから、概ねそんな感じだろう。途中で道を間違えてその分余計に歩いてしまったこと、また昼食や細々とした休憩時間が少なめだったことも考えると、パンフレットの通りという感じだ。

 

天覧山

 まずは飯能駅から市街地を抜け天覧山へ。きちんと整備されていて誰でも登りやすい手ごろな山が街の近くにあるというのは素敵なことだなあと思う。山のふもとには優しい雰囲気のお洒落なお店があり、こちらも次回はぜひ行ってみたいところ。飯能に対する評価が先ほどから上がりまくっている。

 黙々と坂を上る。感覚としては高尾山1号路に似ているか。といっても、高尾山に行ったのは何年前になるのだろう。坂、坂、坂。

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 山頂。結構人がいた。山頂は写真を撮れればいいので足早に立ち去る。高い場所が苦手なわけではないが、すべてがちっちゃく見える頂はべつに好きなわけでもないらしい。高さに対する憧れみたいなものもないのだろうか、自分。

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 天覧山を下り、多峯主山、高麗峠方面へ。人は多い。ただ、ここから分岐も多く人が分散されていく感じなのでのちに一人旅になる。マムシに注意。

 

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 多分天覧山の針葉樹の森。神々しい。こういう景色がすごく好き。

 

道はわかりますか?

 多峯主山か高麗峠かの分岐地点で一応確認しようとパンフレットを広げる。少し離れた場所でストレッチしていたおじいさん。穏やかな顔で私に話しかけてくる。

「こんにちは。道は分かるかい?」

 私は一瞬考えて答えた。「はい、大丈夫です」

 そう、じゃあ、お気をつけて。チェック柄のシャツを着たそのおじいさんは、私が来た道とも、私がこれから行く道とも違う道へ、一人歩いて行った。

 「道はわかるかい?」哲学的な問いかけだと思った。遅れてやってくる感動。私はつい「はい」と答えてしまったけれど、進むべき道をきちんとわかっていることなんてあるのだろうか。不安に泣きたくなってしまった。だって、わからないような気がしたから。

 それでも私は息をふっと吐きだすと、パンフレットを畳み、看板が指し示す方へ歩き出した。それで大丈夫だった。

 

高麗峠

 アスファルト道に下りると、西武池袋線の高架をくぐり国道299号線を渡る。カインズがあって、見たことがある看板に一気に文明の感覚を取り戻す。それもつかの間、ゴルフ場の入り口の脇を入っていく。また自然の中の遊歩道に。次は高麗峠。

 目立った上りも下りもない、淡々と続く自然の中の道。こういう道は歩いていて安心する。余力もあるし思索に耽る。気がついたら高麗峠にたどり着き、そのまま通り過ぎた。

 

カツン

 ゴルフコースが近くにある為、振り下ろされたドライバーがゴルフボールを飛ばす小気味いい音が聞こえる。しかしボールの姿もプレイヤーの姿も見えない、緑、緑、緑の世界。ちょっと不思議。

 

巾着田

 高麗峠を通り過ぎなおも黙々と歩くと、再びアスファルト道とのご対面。この奥武蔵自然歩道、以降もたびたび公道に下りる機会があるけれど、そのたびに懐かしさと安心感に嬉しくなってしまった。

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 正面にあるのがおそらく日和田山

 巾着田は上から見ると巾着のようでそれが由来らしい。巾着田に沿う形で高麗川が蛇行している。

 側溝をちょろちょろと水が流れ、網を持った子どもたちがかがんで水面をじっと見つめている。ザリガニ探しでもしているのだろうか。視界がひらけた気持ちのいい場所なので早めの昼食とする。

 

つけ麺

 昼食はセブンイレブンで買ったつけ麺。リュックからがさごそと取り出す。ハイキングのお昼の定番はおにぎり・サンドイッチ・弁当なのかな。でもつけ麺を食べてはいけないなんてルールはないでしょう?つけ汁をこぼさぬよう慎重に準備をする。

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 味玉がべらぼうに美味しかった。うれしい。水やお湯があれば割りたかったけれど、そんなものはなかったし、つゆをこんないい景色に捨てるわけにもいかないのでそのまま飲み干す。流石に濃い。

 

和田山

 登山客で賑わう。混雑している山頂から物見山へ抜ける道になると静かになった。

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孤独

 この辺りから体力的に余裕がなくなってくるので私は「寡黙」になる。「寡黙」もなにもしゃべる相手はいないのだが、心にも何も浮かばない状態になるということ。何も感じない。何も考えない。ハイキング(や散歩)の醍醐味とも言える状態。

 私たちは日ごろどんなことを考えるのだろう。

 私が他人の心を覗ける魔法を得たとして、誰かの心の状態はどういうものになっているのだろう。今、私はこの文章を書いているけれど、今まさに書いているこの文章は、一体どこから来ているのだろう。私はこれらの文章を考えながら書いているわけではない。キーボードで打ち出したときに初めて考えている、形を持つ、という気がしてならないのだ。その不思議たるや。

 しかし何も考えていないわけではない。うっすらと水面下で、絶えず何かが蠢いている感覚。少しずつ私のエネルギーを食らいながら徘徊する何か。自然の中を(あるいは街中を)歩くことは、この蠢きを鎮静化するような、そういう作用がある気がする。止まってほしいなあと思ったとき、私はぐるぐると散歩をする。私は動き、頭の中は静まる。誰かと歩いていても、きっとそこには孤独がある。そんな気がする。

 

高指山~物見山

 道中は静かだった。

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形而上的ビール

 疲れのピークが来たあたりで、頭の中に生ビールのジョッキがぷかぷかと浮かんでくる。形而上的ビール、形而上的ビール、これは形而上的ビールなんだわ。冷たい飲み物が飲みたい。飲めない。私が持っているのは生ぬるいお茶だけ。行程の途中で自販機やお店があるともわからないなか、飲みたいだけ飲むわけにはいかないのだ。

 

北向地蔵

 すれ違う人、追い越していく人、時折そこらへんで拾ったであろう木の枝をトレッキングポール代わりにしていて、物は試しと、私も手ごろな枝を拾い水戸黄門様のようになる。これが驚いたもので、体がとても楽になる。もしかしたら比較的なだらかな道程だからかもしれないけれど。下りばかりだったし。それでも杖があるのと無いのとでは大違いで、ああ、トレッキングポール欲しいなあ、という思いがちらちらと脳内を駆け巡る。ストン、ストンと地面に杖を突きながら歩く。音が気持ちいい。

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鎌北湖

 若干道を間違える。アスファルト道をぐにゅぐにゅ下ってしまったが、多分そんなことをしなくても真っすぐと鎌北湖に進めたはず。上りより下りの方がつらい。

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 鎌北湖、水が枯れててびびる。どうやら耐震工事をしているようで水抜き中らしい。良かった。水枯れはどうしても気候変動のことを考えてしまって怖いから。干されっぱなしのボートが切ない。

 

鎌北湖をあとにして

 山をあとにして下界へ。

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 可愛い。

 

 ここから駅まで1時間くらいさらに歩くのだが、アスファルトを黙々と歩いてそろそろ耐えがたくなった辺りで駅に着いた。歩道の傍らには色鮮やかな花々が咲き乱れ、タケノコが無人野菜販売所で売られていた。いい感じである。コンビニでアイスを買い歩きながらシャリシャリと食べる。私以外誰もいない道、そういう場所ばかり惹かれてしまう。

 

 駅に着く。電車が来るまで40分くらい時間があったものだから、ベンチにどさりと座ると、靴を脱いで靴下も脱いでしまう。素足を初夏の風が撫でる。冷たく、鋭い。

 誰もいない駅、やってこない電車、私が好きな、決して日常ではありえない風景についてぼうっと考える。「私がここにいる」ということを誰も知らないということが、私に謎の優越感をもたらしてくれる。それは何故?

 

日常

 日常に戻ってくる。あまりに楽しかったのか、ぼうっとしている。いつ「浮上」してくるかなという感じ。