シオラン、透明、薄い膜

 シオランについての本を買ったので読んでいる。1周目はとりあえずいつもの読書感覚で、2周目はシャーペンを片手に少しゆっくり目に丁寧に。さて私は何故この本を買ったのかというと、過去の私が(過去といっても数か月前の自分だろうが)読みたい!と言っていたからだ。そしてつい最近の私がもう一度読みたいと思ったとき、二人の自分が読みたいと言っている本なのだもの、読んだ方がいいでしょう?ということで買ってみた。

 わかるような、わからないような。人生は苦であるか。でも、私は結構今の自分が好きですよ、答えになっていないけど。可能性があって、同時に不可能性がある。私が知っていることがあり、知らないことがある。それだけで、たとえ最悪最低ばかりな出来事事象のオンパレードだとしても、そこそこに面白いと感じる。そもそも他人の動向にあまり興味がないのだ。この興味のなさは自己防衛なのかしら?つまり、私は関係ないよと両手を肩の上で上げて投降の合図。

 

 透明。外界への興味が。それがとても不安。もっと興味を持つべき。関心を寄せるべき。でも、ちょっと違う。何が違うかがまだ言葉にできない。

 

 私の「好き」は、I  want to beを含むことがある。

 

 薄い膜。自分は臆病者だと感じる。Web会議が苦手。自分の声と喋り方が苦手。テキストに安心している。