「脳のリソースを使いたくない」

仕事で後輩と会話しているときに、何かを断罪するほど強くはなく、しかし冗談として場を和ませるわけでもなく「でもこの件について脳のリソースを使いたくない」と言ってしまってチャットを切った後にぐるぐると考え込んでしまった。「脳のリソースを使いたくない」だと?私はその瞬間まちがいなく嫌な人間だったなあと思った。化膿したきずくちから黄色独特の臭いを放つ膿がでてきた。

言い訳をするならば、私にとって大抵の出来事は、物事は、「こんなことで脳のリソースを使いたくない」ものであり「この件」はその長い長いリストに名を連ねただけのこと。そもそも仕事だって「脳のリソースを使いたくないこと」なのだ。別に後輩くんの話を蔑ろにしたわけではない。しかし、一々考えるのも面倒だった。疲れたくなかった。これが事実だ。

でも間違いなく誤解を与える表現だったし、心の内だけで思っていたことを口に出すというのは、それはある種の境界線を越えたということを意味し、頭の体の中のアラートが先ほどからうるさい。膿の臭いがする。

 

それならば。私にとって考えるべき、考えるに値する物事ってなんなんだよ。

それは例えば、今日食べた日清のカップヌードル塩むすびが最高にマッチしてて幸せだったどうしてこのコンビは息がぴったりなのだろう、とか、そういうこと。

 

カップヌードル塩むすびは私がコントロールできること(このコンビを引き裂くことはできないが)。そして脳のリソースを使いたくない物事は、私がコントロールできない出会い。

制御できないことを疎ましく思うと同時に、私のからだの脇を風が通り抜ける気持ちよさは絶対生きる上では無くてはならないことだと思う。私は腹が立ったら舌打ちしたりしながら気が向いたら飛び込んでみたり、嫌だったら避けたりするのだ。そういう意味での「脳のリソースを使いたくない」。

あーあ、ぜったい誤解されたなあ、