毎日

 毎日何かを書く。溜まっていくテキストたち。見覚えのある記憶は、もう数日前のことになっていることの驚きと恐怖と面白さを感じている。1日だけ更新を忘れていたけれど、今日で新年が明けて27日目になる。

 毎日投稿、いいじゃないかと思っている。1つひとつは私にとっての「作品」だった。まったくのフィクションではないけれど、1日1つ、私は何かを生み出しているのだ。それは精神衛生上、とても良いことに感じる。ただ漠然と時が過ぎるのが私は我慢ならないから。大したものじゃなくてもいい。今日生きたという証として何かを書くというのは私にとってとても安らぐ行為。

 昨日書いたことは、今日の私では書けないということが嬉しい。愛おしい。それは、私が常に変化していることの証左であり、つまりは生きていることを意味している。今日が何もないと思う一日だとしても、今日の、今この瞬間の私にしか書けないことがある。この実感が文字通り私を生かしている。

 

 他の人が持っているものが羨ましい。文章を書きながら、己の限界、境界に想い馳せる。他人になることができない。この皮膚を内側から破ってまったく異なる私になることはできない。他人になりたい。なれない。この文体。語彙。知識。文の運びは私のからだ。腕が短い私。脚が短い私。でも。演じるという行為がある。人は完璧になり切ることはできないけれど、寄せることはできるのだろうかね。

 文章を綴る行為に限界を感じています。でも明日も書くでしょう。それはわかっている。