思念体と港

思念体で活動したい。私の外殻、邪魔、と思う。邪魔とはいえ、外殻(肉体)は必要だし、感覚器がないとインプットができない。インプットがなければアウトプットもない。だから、外殻邪魔、というのは、自分の中における外殻の優先順位を下げたいし実際下げてるようなところがあるけど、社会的にはそういうわけでもなさそうだから、なんかうざったい、ということが言いたい。

肉体は港のようなものだと思う。他者と交流するポイント、入り口、窓口。しかし私の港は閉鎖的だし、荒れてても頓着しないだろう。港を整備した方がいいのか? 整備しなさい! というのが常識だと思うし、私はそれを否定しない。 実際のところ、現物の港はとても好きな場所だ。天気によって多面的に映るし開放的だし(ひらかれている港はそういうもの)。港を捨てることはできない。ならば、実際の港が好きだという感情つながりで、もう少し整備してもいいかもしれない。捨てたいだなんて言わずに。