切手

 10枚組の切手も残り1枚となった。春先に郵便局の窓口で買った、季節の花々が描かれた切手。最後に残った花はなんだったか、まったく覚えていない。

 出かけた先で自分宛てに葉書を送ろう。

 そう思い立ってから、私は9枚もの葉書を書いてきたということになる。帰りの電車の中で葉書を書き忘れたことを思い出すこともあった。正直、葉書を取り出して宛名を書いてポストに投函するという一連の行為は面倒で、大した意味があるとは思えない。こんなことして何になる? 葉書を投函することだけでなく、あらゆる行為に付きまとってくる忌々しい問いだ。

 ただ一つだけ。ファイリングした葉書を手に取る。紙の感触。

 確かに葉書がそこにある。角が少し折れて消印が押された葉書。この紙っぺらのおかげで、私はあのささやかな旅の存在を信じることができる。

 それで十分だ。信じることで自分に何かがあるとかそういうことは考えない。意味を見出そうとしたら、きっと私は何もできなくなるだろうから。

 

 郵便局に行く算段をつけている自分がいる。ポストカードもたくさん買わないと。自分がいいなと思ったポストカードを買いたい。