文の総量

 一日に書くことのできる文の総量は決まっている気がする。一日に歩くことができる距離がだいたい決まってしまうように。

 総歩距離が決まってしまうのは、歩くスピードと体力が限られてくるからで、そこに「楽しめる程度」という要素が掛かってくる。文章も同じだ。特に「楽しめる程度」というのは大きいと思う。時間的にはまだ書けるけれども(そして体力的にもまだまだ書けるけれども)気持ちでお腹いっぱいになってしまう、というのがある気がするのだ。

内容と写真は一切関係がない