唐揚げ弁当

唐揚げ弁当

 公園のベンチに座って唐揚げ弁当を食べる。唐揚げ四個に対してご飯は大盛(この「大盛」とやら、少し量が多かった。次の機会があるなら大盛にしなくても大丈夫だろう)。唐揚げ一個に対して、ご飯を四分の一ほど食べればよい計算。簡単な計算だ。算数は必須科目。唐揚げ弁当を食べる為に必要な知識。

 唐揚げにかぶりつくと、口の中でじゅわっと油が爆ぜて、ああ、生きていて良かったと、大真面目に思う。たった400円の幸せ。私はコスパがいい人間だ(と思えるのは幸せなことだと思う)。

 空が見えた。風が吹いていた。少し離れたベンチの近くにはスポーティーな自転車が置いてあって、男の人がベンチに座りながら眠りこけているようだった。寒くはないのだろうか。私が寒い。父娘の親子がボールで遊び、ジャージ姿の男性がシャドウピッチングをしている。なんてことない風景。私はそれを幸せだとは思わないが(少なくとも今日のところは)家に引きこもっているよりは数倍マシに思えた。

 肩掛けカバンに入れた弁当の空容器。きゅっきゅと擦れる音。その音は誰かの関節が軋む音に似ていたような気がした。

 

2WAYトートバッグ

 欲しいトートバッグを見つける。いや、思い出したという表現が正しいか。なぜなら数年前に私はこのバッグと出会っているのだから。それは発見ではない。再会だ。このまま半年間、気持ちが冷めないとして、手に入れるのはいいが(八割方手に入れる算段をつけている)手に入れるために他ならぬ自分を引き上げなければいけないような感覚におちいる。そのバッグを持つにふさわしい人間になれますように。そういう目標の立て方は決して悪いことだとは思わないけれどどうなのだろうか。

 

 仕事を切り上げた後、今まで良くない過ごし方をしてしまった。体の中が泥のようで気持ちが悪い。書けるか、書けないかわからなくて、渋々パソコンの電源をつけた。キーボードに手を置けば、するすると言葉が出てくる。それは悪い感覚ではなく、楽しいとまではいかないが淀みなく出てくる言葉に新鮮に驚く。驚けることに、驚く。泉は枯れたものだと思っていたけれど、枯れてはなかったようだ。