好きだと言って嫌いだと言って

 いくつか曲を聴く。体を動かした後、汗が引いて少し寒気がする帰り道。とぼとぼと歩きながら音楽を聴く時間がとても好き。空腹状態で食べるご飯はいつも以上に美味しい。喉がカラカラで干上がった体に冷たい烏龍茶は沁みる。眠たいなら眠ればいい。そういう「持っていき方」を私は良しと捉える傾向にあり、そういう自分が少し危ないなと思っている。

 曲を聴く。君が。僕が。横顔。髪。綺麗だね。ずっとそばにいたい。君といられればなんだっていい。幸せで、満たされている。甘い言葉。わからないなぁと、私は思う。わからないけれど好き。それはじゅうぶん成立する。私は今日も音楽を聴く。

 恋愛 vs 恋愛以外。言葉をのせた音楽を二分したとき、量で勝つのは前者じゃないの?と私は考えている。恋愛多数派。私は少数派?でも、幸せなことに誰も私に聞いてこない。私にちょっかいを出さない。おかげで伸び伸びと生きていられる。

 わからない。わかりたくないの間違いでは?それすらもわからない。恋だとか愛だとかを人同士の接着剤にしないでくれと思う。もっと別の感情で人と深く関わっては駄目なのか。愛さないといけないのか。欲情しないといけないのか。私は別のやり方があってもいいと思っている。自分がそれを採用するかどうかは別として。

 

 私は冷たい人間なんだと思う。愛せないし愛さない。それは優しさ?Yes。多分私にとっての優しさ。冷たくあること。干渉しないこと。興味を抱かないということを優しさだと思っているから、自分は実践しているに過ぎないという論理。私は冷たい人間。愛する勇気がない人間。

 

 わからないけれど、そこに生まれるぐじゃっとした感情の重力。エネルギーに鳥肌が立つ。だから私は恋愛の曲を聴くのが楽しい。それは私の愛でないにせよ。愛はとてもドラマティック。好きだと言って。嫌いだと言って。私に言ってくれてもいいし、誰かに言ってもいい。私はそれを聞く。