桜と一切皆苦

 新宿御苑に足を運ぶ。今日は退職の日で、手続きが終わってしまえば暇で、だから新宿御苑。桜の季節。オンシーズンにそのような場所に出かけることを好まないが、平日の今日を逃すと桜の咲く新宿御苑に行ける日は多分無いので、仕方がない。月曜日は休園日だが、桜が咲く時期は例外らしい。遠目から見ても人がどんどん園内に吸い込まれていくのがわかったので、早くもうんざりする。

 人が多い。けれど大丈夫だ。公園は人をたっぷり飲み込むことができる場所だから。うねうねを張り巡らされた小道に入れば、たちまち人の気配は薄れ木々と戯れることができる。靴底が砂利を噛む音。鳥の鳴き声。気になるものがあればシャッターを切る。そう、最初からこの場所に行くつもりで一眼レフを鞄に忍ばせていた。

 桜。

 ハナカイドウ。花街道ではなく花海棠。でも道なりに並んでいたらまるで花の街道と思うぐらい、はっとする色の強さだ。

 

 新宿御苑の入園料は500円である。2019年に大幅値上げして200円から500円になった。外国人観光客の増加に伴い、園内の案内を対応させたり、人材の雇用育成が目的らしい。値上げに対して異議を唱えることはしないが、200円から500円というのは大きな変化だと思う。園内を歩きながら「今、私は、500円の空間を歩いているんだなー」と思ったりする。もちろん、新宿御苑の散策の価値が500円未満とも、500円以上だとも思っておらず、何が言いたいのか、200円と500円だったらやっぱり気の持ちようは違うということだ。そして、公営の、公園なり水族館なり動物園なり、手軽な価格帯で自然を慈しむことができる空間というのは大事だと思う。

 すれ違う人々、視界に入る人々、大体の人が幸せそうに見える。それを好ましく思うか憎々しいと思うかで、そのときの自分の健康状態が分かるけれども、今日はどちらかと言えば「好ましい」だった。散策を楽しんでいた。桜を鑑賞する人々を観察することに面白さを見出していた。楽しそうなのがいい。

 大体が「幸せそうに見える」からといって、幸せであるかはわからないと思った。様々な事情があるだろう。歩きながら別れ話をしているカップルがいるかもしれないし、人知れず病と闘っている人もいるだろう。職を失った人がいるかもしれないし、漠然と未来に不安を抱いている人は…多いのではないか。

 新宿御苑に対する違和感は、すなわち「みんな幸せそう」である。御苑だから仕方がないのか。公園はもう少し、幸せそうじゃない人もいる空間だ。とことん落ち込んで、落ち込んだまま訪れていい場所だ。いや、訪れるべき場所だ。公園は無料で誰でも足を踏み入れることができるもの。

 500円というのは、一定の、幸せでありたい人か否かの分水嶺みたいだ、と思った。だから500円で新宿御苑のゲートをくぐり、別れ話をするカップルの話でも書きたいと思ったけれど、それは気が向いたらするとして(相手がいるなら実際に実行してもいい)新宿御苑は他の公園みたいに一筋縄ではいかない場所だ。難しい。うまく整理ができない。

 雨が再び降ってきた。先ほどの雨とは異なり、無視できなさそうな降り方なので園を出ることにした。

 帰り道にポッドキャストを聴く。哲学者であるジジェクが言っていたことが話題に上がる。「人は本当は幸福なんて求めていない」らしい。生きることというのは苦しいもの、と言っていたお釈迦様が正しいと自分は思う。ポッドキャストの語り手はそう言う。人の生というのは一切皆苦である。

 「幸せそう」云々言っていた先ほどの私は、簡単に言えばその人たちが羨ましかったのだろうと思う。楽しくありたかった。何も疑わず、楽しく桜を見れたら良かった。桜を背景に写真を撮ってSNSに上げられたら良かった。でもそのどれもが私のやりたいことではなかった。私ではなかった。憧れと、一方で「私はそうではない」のギャップに中てられたのだろう。

 歩きすぎて疲れた。そろそろ思考がまとまらなくなってきており、文章はこの辺にしておく。