他者が読みうるという前提で記録し、それを自分の中で都度都度点検することで、私は自分の状態を見定めようとしている。しばらく「これ」は続くだろう。
アメリカに行く夢を見た。アメリカだと思ったら「新潟」駅に私はいて、「新潟」駅の路線図の端っこに「松山」駅と書かれていた。松山まで一本で行くことのできる「新潟」駅、行ってみたいなと、夢が醒めても思う。夢は解けて、本当にアメリカに行く夢を見た。夢の中の私は、掏摸に遭遇することをとても気にしている。リュックをナイフで切り付けられ、取られるかもしれないと怯えている。掏摸が怖いのではなく、掏られた後の面倒くささを気にしている。あとは、少々テキストでは書きにくい(というか面倒くさい)抽象的なシーンになるので割愛する。一体、日常で見たどういう光景が反映されているのか。身に覚えのない要素が多すぎる。
基本的に、私は幸せな人間なのだ、と思う。食物と睡眠はそこそこに摂取しないと身がもたないが、それ以外なら少ない刺激で楽しくやっていける。そういう風になってしまったと仮定する。何が言いたいのかというと、あまりにたくさんのものを摂りすぎているのではないかということ。それに中っているのではないかということ。適正量を超えているのではないか。私が処理しなければいけないことが、膨大だと感じる。なるほど、今、陥っているのは、完全に情報過多、キャパオーバーということか。であれば、それを荷下ろししなければいけない。問題は、どう荷下ろすか、ということ。