ぜんぜんわかってない

 人間のミスについて関心がある。起こったことに対して、原因の一つひとつは些細なものであることも多い。JCO臨界事故、チェルノブイリ原発事故、福知山線脱線事故日航機墜落事故チャレンジャー号爆発事故タイタニック号沈没事故の経緯を読んでいく。気になってしまうのは、きっかけの小ささに対して起こったことの悲惨さがどう考えてもアンバランスだからだ。原因と結果のギャップは、理不尽とか不合理だとかフェアじゃないぜと思いたくなるほど大きい。むしろそこで起こったことはとても論理的なことなのに。論理的じゃないのは人間の方で、なるほど、私が憤るのは人間だからか、と腑に落ちておとなしくミスに関する過去事例を読み進める。

 自分が同じように大きなことをしでかさないか不安になる。人間、できることが増えたことに応じて、引き起こされる悲劇の規模も大きくなるのだろう。機械も電気もなかった時代、人間が起こせる悲劇の規模自体は今より小さかったはずだ(深さは今も昔も変わらないかもしれないけれど)。

 構造に問題がある。それはそうだと思う。構造に問題があるなら、それによって生じた悲劇は構造に属する人全員に責任があると思う。そして、人間が人間である限り、認知的な歪みがありバイアスが生まれ、視野狭窄や根拠のない思い込みに陥ることを完璧には防ぐことができないように思う。失敗から学ぶことはできるが、それは能動的意識的に行わなければ身につけることは難しい。

 AIに関心があるかというと私は「ない」わけで、制御できる範囲を超えたところにあるのは悲劇しかない気がするので「いいかげんそろそろやめな~」と思ったりしている。それでも手を広げたいのなら、人間側もアップデートしないと駄目だと思う。人類のすごいところは、好奇心に突き動かされた人々の研究が、市井に生きる人の生活様式を変化させるところで、わかってなくても使えてしまう、一般性への落とし込みがすごい。

 私も含め人間というのはぜんぜんわかっていない生き物だなと思うのだった。