本を読むことについて

 本を読んでいる。きちんと読めている。読めていない期間もあるにはあって、だけれど、少なくとも今はそのタームではない。私はちゃんと本を読んでいる。

 本を読みながら考える。私にとって読書の一番の目的は(目的という言葉は少しニュアンスが違うが適当な言葉が浮かばないので暫定的に用いる)今、自分が身を置く世界とは別の世界に飛ぶこと、ただそれだけなのだと思う。だから、正直十分に飛べるのであれば、ストーリーは気にしなくて、少なくとも私は、好きな小説を「ストーリーが面白いから」という観点で選ぶことがない。読み終わった果てにあるものを欲しているわけではない。読んでいる渦中に身を置くこと、それが最も大事なことなのだ。

 いつかは戻らないといけない。悲しいことだ。でも本はパタリとページを閉じれば終わってくれる。私は戻ることができる。それもまた、得難い性質だと思う。飛んだままではいられないということが。

 さて、別に人間は飛ばなくても生きていける。事実、私は自宅で本を読むのがあまり得意ではない。それはどうしてか考えているが、そもそも家は比較的安全な場所であるからだとか、世界として完璧であるからして飛びにくいとか、そもそも読む習慣がないだけだろうとか、色々思いつくことはある。ここで言いたいのは、私は家にいるとあまり本を読まないということだ。つまり、家にいる日々が長く続くと、自ずと飛ばない期間が長くなるということだ。

 飛ばなくても生きていけるが、飛ぶということは自分にとって大切なことのようだ。それは世界が複数あるということを体に叩き込む行為だから。世界を複数有するということは、それぞれを相対的に見られるということで、この「相対的に」というのが大事らしい。

 ちなみにゲームも、おそらくは飛べる可能性のある世界だけども、私はゲームでは飛べない。そこにリアリティを感じないのと、ゲームに対する耐性が年々弱くなり長く遊ぶことができないのが理由だと思う。感覚的に、ゲームは強すぎる、と感じる。アニメでも漫画でも飛べない。映画は他のものよりは可能性はありそうだ。

 私は本を読んでいる。それは私にとってとても大切な行為なのである。