トレッキングポール

 階段は階段だと認識したときから階段である。今、思いついたことです。著名な誰かの格言ではありません。

 私にとっての階段は何か。そりゃあ色々あるけども、この瞬間ぱっと思いつくのは、目下取り掛かり中の仕事のことである。手をつければ私のことだからある程度前向きにこなすことはわかっているが、辛いのは手をつける前である。じめじめとした嫌な雲が頭の中でどんどん湧いてくる。それを「憂鬱」と呼んで差し支えないだろうか。多分憂鬱と呼べるものなのでしょう。でも私は、憂鬱というのはもっと湿気があって行き場のない感情だと思っていた。この雲を憂鬱と呼ぶならば、私の人生の大概の物事は憂鬱になってしまう。

 雲を晴らすには、トレッキングポールを持つことである。私は階段を低く細かくする。エクスプローラーをひらく。Excelをひらく。メールを読む。そういう本当に些細な一段を、ノートに書いてできたら赤線を引く。次にやることを書く。できたら赤線を引く。そのうち体が乗ってきて、雲はいつの間にか消えている。ボールペンとノートは、私にとってのトレッキングポールだった。それは仕事だけでなく、あらゆる場面においてそうだった。使うことで登るのが楽になるのであれば、使えるうちは使ってみたらいいのではないかと思う。

 でも、時々思う。それほどまでにきついのであればそもそも山を登ることをやめたらいいのではないかと。ただそれは究極、生きるのやめたら?になりそうで、却下だなあと思う。なお、私はまだ本物のトレッキングポールを持っていない。せいぜい低山ハイクだし、長い長い散歩でも今のところポールを必要としていない。皮肉だこと。