蹴りたい

生まれ変わったところで自我は別のものになりそうだが(今の私に前世の記憶はない)生まれ変わるならサッカーの好きな少年になって、無尽蔵の体力で芝生を駆け回り、ひたすらにサッカーボールを追いかけたい、と思う。三角形の三点になり、サッカーボールをパスし合う子どもたちを見ながら思う。私はミラーニューロンを活性化させ、蹴るという行為を追体験する。足首を固定して足の内側でボールの側面を的確に蹴る。蹴りたい。いや、今この瞬間、私はそれをすることが出来るはず。確かに厳密にはそれを行うことは可能だ。でも出来ないのだ。私は少年ではないし。球技に相手は不可欠であるし。ボールを手に入れてどうするのか。ただ、ちゃんとよく考える(それは大事なこと)。ボールを手に入れるという思いつきはそこまで悪いことではないように思えた。私がフットサルに興じる世界線は有りか、有りだろう。が、多分私はその世界線には進まない。そうやって出来たこと、出来なかったことが後ろに積まれて行くことが恐ろしくもあり、それが私の道である。