生きている会話

本を読む、ということを表現することは難しい。抽象的な表現だな。自分がどんな本を読んでいるのかというのは、とてもとても、プライベートなことだということ。私は読書のブログもやっているけれど、そこには読んだ本すべての感想を書くわけではない。当たり前に。

ということで、具体的に今どんな本を読んでいるかは書きたくないので書かない。が、いいなあと思うところがあったので引用する。

「仲良くしたい」

「仲良くしてるつもりだけど」

「私もそうしてたつもりだけど」

「でも解決すべきことを置いたままではそれなりの仲の良さにしかならないでしょう」

うふふふふ。私、にこにこ。ちょっと感動してしまった。文脈ありきの文章なのでこの感動が伝えられないのがもどかしい。ここからさらにシリアスになっていくので読んでいて気が引き締まる思いだ。なんだろう、人間が生きている感じがするから好きなのだと思う。生きている会話。

この人たちが直面している問題に対して私はどうすることもできないし私にとっては問題にならないということ。それが悲しいし、また敵わないと思う。決定的に自分に欠けてるものがそこにはあって「もう終わりだ」と打ちのめされる。

基本的に他人を言語化するのが苦手というか、言語化するという行為を避けているらしいのでうまく言葉が出てこないし、言葉にしたところでそれは適切じゃないという思いが付きまとうが(私はこの人たちの何を知っているのだろう)あえて言うならこの二人はとても誠実なのだろうなと思う。自分と他者に誠実だ。

人と人との間で交わされる言葉の美しさに惚れ惚れする(これからは一層注目していこう)。生きた会話はやっぱりフィールドにしかないわねえ…と思う。人のいる場所にも出かけていかないといけないわね、とも。

他に意識しないといけないことが満載なので本を読むことがおろそかになっているが、やっぱり本を読まないと私は精神が死ぬ。それを改めて自覚した。読んでいきましょう。