同族嫌悪

 人間それぞれの嫌いなところなんて私はいちいち言語化しない。なぜならそれは不毛な行為だと思うから。この世の中には人間がたくさんいて、それらに対していちいちネガティブな反応をしていたら身がもたない。直感的に(不愉快だな)と思うことはあるだろうけれど「不愉快だな」と言葉にはしない。頭にそのワードを浮かべない。日記にも書かない。直感的に相手を忌避し、自分から離れたり対処を考える。そういうことをしているからか、日常的に他者に対していらいらすることがあまりない。イライラは水面下で起こり、消えて、やがて「凪」になる。

 そんな風に生きているが、最近鼻につく人がいる。その人とやりとりすると高確率でイライラさせられる。イライラする自分が悪いよなあ、このイライラが伝わってないといいけれど、いいや、きっと伝わっているよなあ、そんなの嫌だなあ…という脳内会議が結果的にはその人から受けるイライラより強いストレスになっている。そして私にそういう思いを抱かせる「あなた」がますます嫌になる。

 分析をしてみると、多分同族嫌悪なのだ。

 良くも悪くも自分は気分屋で、容易にポジティブになるし容易にネガティブになる。ポジティブなときであれば、より大らかになるし、ネガティブだとより狭量になる。私はそれをとりあえずできる範囲で自覚している。自覚した上でなんとか制御できないかと苦心している。

 私のイライラする相手も、実は私と似ている部分があって、感情が表に出やすい。他の人は(意識していないと)わからないかもしれないけれど、私にはわかってしまう。何故なら似たもの同士だから。感情が上がるポイント、落ちるポイントが手に取るようにわかる。そして相手は私より無自覚で、無防備だ。

 あくまで私の勝手な推測だ。妄想だ。その妄想に憑りつかれてしまっている(し、多分その妄想は大外れしているわけでもない)!

 「無垢」なままでいられることが羨ましい。私は感情の起伏が激しい自分に対して(その良さもそれなりに評価しつつ)やっぱりある程度は矯正した方がいいと思っているのに、あなたは平気でそうやって嬉しそうにする、または落ち込む素振りを見せる。私にはできないことだけれど、他ならぬ私が私に対してそんな「無様な真似」は認めない! みたいな、自分が自分に対して抑圧している(自分のその先には「社会」という大いなる存在があるやもしれん)。でも今更自分の在り方を変えられないし(本当に?)せめて、自分が調子に乗りやすいことは自覚しておけよ、って思っちゃったんだな、性格悪いなあ。

 自分を見ているようで痛々しい。私も周りの人間からこんな風に痛々しいように思われている(思われていた)としたら、それは甘んじて受け入れるにせよ、喋るたびに幻影のように目の前に現れるのはちょっと愉快な気持ちではない。自分の失敗を傷口に塗り付けられているようで。ああ、なるほど『図書館戦争』の堂上は笠原に対してこんな気持ちを抱いていたのかな*1、違うのかな、と考えて、「まあいっか」となった。私は思考や感情が持続しない。

 とはいえ「まあいっか」としたところで、またやりとりすればイライラさせられるわけで、でも、どうしようもないのだ、だって相手は相手なのだから。完全に私側の問題で、勝負は決まっている。私は自分で望んで今のようなスタイルになったのだし、締め付けすぎず感情をコントロール(というか、急な上げ下げはないように心構えだったり対処を工夫しているだけだが)しようとしているところは悪くない。私も立派立派。だからイライラする必要なんてないのよ、というのをわかるまで自分に言い聞かせるか…はあ…(溜息)。相手は「たぶん、今ごろパフェとか食ってるよ」なのかな。人のダークな部分なんて一目見てわかるわけじゃないからなあ。ああ、疲れた。甘いもの食べたい。

*1:堂上は笠原の上司。昔の堂上は笠原のような血気あふれる人間だったのだが、色々あって今の堂上になった。色々が気になる人は読んで。