電球

 電球が切れてしまったので替えを買いに行く。電球の根元の金属部分は口金といい、ソケットにくるくるとねじこんで取り付けるわけだけども、この口金(「くちがね」と読む)のサイズが合わなければ電球を取り付けることができないので、わざわざ使用済みの電球を家電量販店に持参し、確認しながら買った。

 文房具売り場に行くと欲しかったセーラー万年筆コンバーターが売られていた。値段を見ると500円程度で買える。これで好きなインクを使い放題だ、私は一気に楽しくなってくる。なんて素晴らしい500円だ。年明けに買った万年筆は最初こそペン先が固く、インクが擦れまくる有様だったが、このところは調子がいい。たぶんこの先もずっと大丈夫だろう。複数の万年筆を日替わりで使うことにも慣れた。それだけ紙のノートに書くというのが習慣化されたのだなと思う。以前はここまで書くことはなかった。今の万年筆はカートリッジを挿しているから、その中身が無くなり次第コンバーターに切り替えよう。とりあえず緑のインクがあるからそれで、ゆくゆくは何か暖色系のインクを。

 そうして帰るころには電球を買ったことも、コンバーターを買ったことも忘れていた。リュックを椅子の上にどさっと下ろし、荷解きをしていく。そこで私は自分が電球を買ったことを思い出す。なんだろう、忘却がもたらす遅効性のようなものが好きだ、何故ならサプライズ感があって改めて驚くことができるから。

 一度スイッチを消し、買ったばかりの電球を取り付ける。きゅっきゅと口金の部分が鳴る音が聞こえる。独特のざらっとした感触みたいなものが手の方に伝わる。あまり得意な感じではない。ぞわっと悪寒がはしる。もうこれ以上回せないというところまでひねったところで電気のスイッチをつけると、記憶の明かりとおんなじ色の明かりが灯った。ちょっと嬉しい。いや、だいぶ嬉しい。なるほど明かりというのはこういう役割なのかと、新たな発見である。