グラス

 恩田陸『三月は深き紅の淵を』は四編の短編小説で構成されているが、そのうちの一つ「第二章 出雲夜想曲」は、一言で言えば旅をする話だ。

 東京発、サンライズ出雲に乗って出雲に向かう話。夜行列車の中で二人の女が他愛もない話に花を咲かせる。女たちが小気味よいテンポでひたすら会話する風景が好きだ。

 うろ覚えだが話の中で、旅にぐい呑みを持ち歩くとか持ち歩かないとかそういう話があって、私はそのことを昼休みの散歩中に思い出したのだった。そして唐突に思う。私、グラスが欲しいな。脳内のグラスと、頭上から燦燦と降り注ぐ日の光が交錯する。今日はなかなか暖かい冬の日だった。

 キンキンに冷えたグラスに注がれる黄金色の液体に真っ白な泡(ビールのことです)を私は羨ましいと思う。グラスあってこそのビールだ。カシスウーロンを同じグラスに入れたところで何も面白くない。モヒートは、面白いかもしれない。なんにせよ飲める酒は限られる。炭酸は世界を鮮やかにさせる。

 そう、グラス。

 どこか遠い場所に行きたい。そしてホテルでも民宿にでも止まって、備えつけの冷蔵庫から取り出したグラスではなく(冷蔵庫には入ってないかもしれない)丁重に包んだグラスをバッグから取り出す。飲み物をそこに注いで、ぐいっと呷るわけ。グラスは、昭和の古き良き時代みたいな、のっぺりとした花柄がついているといい。できるだけレトロなイラストがワンポイントではいった、透明で、まっすぐすとんと下りたグラスが望ましい。できるだけ冷えた、私でも飲める飲み物をいれて、喉に流し込んで、私の旅の目的はそこで終わり。

 そんな旅がしたい。いつになるのやら。