公共的空間に流れる個人的なOne Love

電車に乗っていると、どこからともなく嵐のOne Loveが流れてくる。音の在在処がわからない。車内ではないと思うのだけど…と困惑していると、電車のドアは閉まりOne Loveがスッと消えた。どうやら外で流れていたようだ。

少し想像を巡らせてみる。仮に音の出どころが「駅のホームにいる誰か」だとして、通勤時間帯に大音量で嵐のOne Loveが流れるのはふつうではない。音楽はイヤフォンで個人的に聴くもの、部屋にあるオーディオで聴くもの、車の中で大音量で聴くもの(私は大音量では聴かないけど)ライブ会場で踊るもの、公園の芝生でかけるもの、などたくさんの在り方がある。だけど駅のホームで爆音で聴くのは多分ふつうではない。駅のホームという公共的空間に流れる個人的なOne Love。

また、流れる曲がOne Loveというのも良い。とても良い。記憶を改変してなければ、私は『花より男子F』を映画館でその当時の友人の観ていたはず。その主題歌。砂浜と牧野と道明寺。披露宴でOne Loveを流した(と思っているが都合よく改変してるかもしれない)知人たちは、うまくやっているかな。

モンスターズ・インク』では、物語の最後に、従来の子どもの恐怖から笑いへ、彼らの世界のエネルギー源が置き換わる。私は恐怖と笑いの関係に、祝福と呪いの関係を見る。祝福と呪いというのは切っても切り離せないもので、圧倒的祝福One Loveが圧倒的呪いに転換するようなことがあれば、それは悲劇なのかな、なんてことを考えながら電車を乗り換えた。

誰かにとってのOne Loveが、呪いに成り代わるのではなく祝福のままであればいい。そして駅のホームで流れていたOne Loveは祝福と呪いどちらだろうか、もしくはどちらでもないのだろうか。