肉まんを食べよう

 ばれているかもしれないし、ばれていないかもしれないが、私は食べ物の好き嫌いが多いと思っている。ただ、他人にそう指摘されたことは無い。実の家族でさえ。

 実際のところ「まったく食べない、食べれない」という食べ物は現時点ではパクチーぐらいで、出されたら文句言わずに食べる(でもできれば食べたくない)という食べ物が多いという感じだ。その筆頭は昔から、カボチャだし、サツマイモだし、めんつゆだし(めんつゆ?そう、だから蕎麦もあまり食べない)朝はご飯が食べたいし、ゆでたまごは半熟より固めの方が好き。

 そういうことを公言するのは良くないなと思いつつ止められない。何を好きか嫌いかと言葉にすることで、ある種自分が規定されていくような感覚があってすごくひっかかる。止めた方がいい、これ以上は進まない方がいいと思っているのに。どうして抵抗感があるのかというと、好き嫌いの宣言は、自分という不安定な存在の輪郭を濃くしてくれる一方で、私のからだに巻き付く鎖を増やすことでもあるように思えるから。だから「私カボチャ嫌い」と言っても、パンプキンパイもかぼちゃのプリンも好きで、私のことなんて気にしないでほしいと世界に願っている。勝手だなあ。

 そう、好き嫌いの話。肉まんの皮がそんなに好きではない。甘いから(私の好き嫌いの傾向で、食事として甘いものを食べるのが苦手、というのがある。甘めの味付けよりはしょっぱい味付けを好む。THE・高血圧予備軍)。でも肉まんを食べるのは嫌いじゃない。冬に肉まんを食べるなんて最高でしょう?

 寒いし、連日出かけまくったし、で引きこもっている私を肉まん(コンビニの)が連れ出してくれる。コーヒー片手に散歩するのが最高なように、どこかのベンチで肉まんを食べるのも最高。ということで、今からちょっくら肉まんを買いにコンビニに行ってくる。そのまま少し散歩しよう。