言葉が海に吸われてしまったような、そんな感覚。

 昔は出かけるたびに落ち込んだ。感情は上がれば下がるもので、お出かけで楽しんだ分その反動はつらいものがあった。今でも、楽しみにしている予定のあとは必ず落ち込むものだと思ってバッファは積むようにしていて、心構えがある程度なされているからか最近はそこまでがっつりと落ちることは無い。

 今回も落ち込んではいないが、代わりに言葉が自分の中に無い。でも考えてみればそういうものなのかもしれない。私が外に出るとき、それは自分の中でいよいよ何かが耐えられなくなったとき。外に出て刺激的なものやことに触れることで私の中に溜まっていった何かを取り除き、ゼロになってまた帰っていく。早い話が、出かけることはデトックスであり、そう考えれば言葉が無くなってしまったのはわかる気がする。

 何もないので久しぶりに泳ぐことにした。数週間泳がないだけで体は驚くほど鈍るもので、水を掻く手ごたえは欠けるし、疲れるし、困ったものだ。体のメンテナンスは自動的に組み込んで維持する仕組みを作らないと本当に駄目だと思った。泳いでなおさら残るものが無くなった。

 また明日から溜め込む日々なのだろうけれど、それはある意味で創造的な日々なのかもしれない。日常に忙殺され考えることを止めて自分が澱んでいくような感覚を抱いていたけれど、たくさんの情報を処理しているとも言えるわけだ。私はそこで色々なものを溜め込んでいくが、それが無ければ何も生み出せないのかもしれない。それは仮説として、また明日から考えていこうと思う。そのうち爆発寸前みたいになって出かけることになるだろう。性懲りもなく。