冬の何が好きって身軽でいられるところだ、と信号が点滅する横断歩道を軽やかに駆けていく。ほら、軽い。
身軽というのは、上着のポケットに財布やらスマホやら家の鍵やらカメラを入れられる、鞄を持たずに散歩ができるから。冬は散歩が捗る。春も秋もそれぞれの理由で散歩が捗る。夏だけ、夏の散歩だけ、私はちょうど良い着地点を見つけられていない。夏は控えめに言っても歩くのには暑いよね。
米津玄師の『死神』を聴きながら夜道を歩く。どちらかといえば夜に聴きたい曲(ミュージックビデオにも引っ張られている)で、カップ酒を煽りながら、そして酔いながら歩けたらいいのにと思う。私がもう一人いて、それなら実行しても良いと思う誘惑。私はなかなか酔うことができない、酔うことを躊躇う節があって、私のコピー体がいたなら代わりに酔ってもらいたい。
北に向かって歩いていると風がこれでもかと吹き付けてくる。寒さで顔が痛い。剥き出しの生身に1月の風は辛い。耳は平気、手も袖の中に引っ込めてしまえば平気。なのに顔だけが守られない。だから冬の散歩はお面が欲しいなと思う。
お面。プラスチックの薄いサバサバしたものではなく、木で作られた、冷たくて置けばことりと鳴る、そんな確かさを待つお面を私は欲しい。お面をつけていれば風に当たらず寒くないだろうさ。
でも。お面は簡単に複製できてしまう。私が私だとわかってもらえるのはこの顔があるからこそで、「顔」ってのは忌々しいが同時に素晴らしいものなのだろう。お面ならひょっとこ面がいいな(話聞いてました?)