泣き方

退屈

電車に揺られながら、ふと自分は退屈なのだと思いその考えに少しだけ動揺する。書くことの理由は様々だけれども「退屈さを紛らす」という目的もあったことは確かだ。退屈にも種類があって、良い退屈と悪い退屈なら今日のは後者だった。悪い退屈には、魔が虚が忍び込む。からだが強ばり心が弱り頑なになり、じきにボロボロになる。そこから立て直すのは幾ばくかのエネルギーが必要で、時間が勿体ない。他にやるべきことが、やりたいことがあるというのに退屈だとは、そういうタイミングなのだろう、明日には直るだろうか、とひとしきり考えたところでそこにあるのは悲しさで、ええい、空白を埋めよ!と読みかけの太宰治をめくればこれがめちゃめちゃに面白くて「なーんだ、世界おもしろ」になるのだから我ながら単純だ。結局、セーフティネットの種類と数を多くしできる限り多層化するのがいいということだろう。

 

悲鳴

鋭く激しく身を裂かれるような、この世のものとは思えないつらい音がホームいっぱいに駆け抜け、身を強張らせた私は、悲鳴の主を探した。何事もない。平然と電車に乗り込む乗客たち、そこで私は今の悲鳴が、ホームに侵入してきた車輪とレールの摩擦で起こる音なのだと気づいた。乗り遅れないよう電車に飛び乗った。

電車は止まるたびに泣き叫ぶ。その度に私は胸が痛む。誰かの代わりに泣いてくれているのだろうと思った。もしかしたら私の代わりかもしれない。目の前の席で厚ぼったくアイシャドウをはたいた女の代わりかも。あるいは? でも、他ならぬ私が私の泣き方をわからないというのに、私以外の誰かの方が私の泣き方を知ってくれているなんてことがあるのだろうか。

 

クロワッサン

定時間際、トラブル発生、頭をフル回転させて今日できるところまで終わらせる。頑張った。すごいぞ私。ぎゅーんと高負荷のCPU、出力された結果と引き換えに消耗した私。頭が鈍く痛むし動悸がする体調が悪い。と、そういえばクロワッサンの存在を思い出す、良いところのクロワッサンをどこかで食べようと鞄に忍ばせていたのだ。わーいわーいと、人気が少ない夜の道、もういいや、お腹すいたしと、歩きながら小さくちぎって口に含む。中の水分は一気に失われ、その奥、香ばしさの陰に淡い甘さが。幾分回復して帰宅する。