かくめいは、ひとがらくにいきるためにおこなうものです

 珍しく湯船につかりながら本を読む。もわもわと蒸気が浴室に充満して眼鏡のレンズが曇る。太宰の小説を読んでいた。たまにはいいじゃないか、と思っている。そうだな、時々ラーメンを無性に食べたくなるように、芥川やら太宰やらが読みたくなることがある。体が欲しているのかもしれない。言うてそれほど彼らの作品を読んできたわけでもないが。

 いい文章を見つけた。

 革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。

太宰治『おさん』)

 これはもはや「詩」なのだと、思った。なので私は読誦することにした。かくめいは、ひとがらくにいきるためにおこなうものです。天才かよ(そう、太宰は天才)。なんだかとても楽しくなり、ゆっくりと、しかし確実に一つひとつを声に出していく。だいいち、はためいわくです。毅然とした態度で、からりと言ってみる。そうして私はもう一度「かくめいは、」から始める。三回くらい繰り返しただろうか、ようやく最後の段落を読んで(それもまた最高だった)「ほう…」と息をついた。空気にさらした肩が冷たくなってきた。今日はここまでだな。私は本を閉じた。

 私はこの太宰の言葉を、誰かを糾弾する為ではなく言い回しの妙としてずっと覚えていたいと思った。だいいち、私にはわかっていないのだから。誰かを責めることなどできはしない。