採血

 採血のときは緊張より好奇心が勝る。看護師さんの一挙手一投足から目が離せない。自分が採血する側だとして、嬉々として乗り込んでくる患者がいたらさぞかし疎ましいだろうなと思いながら、椅子に座るときわくわくしている自分がいる。

 アルコール平気ですか?平気です。注射の際気分が悪くなることありませんか?ありません。血管が見えるので多分左腕で大丈夫ですね。よろしくお願いします。看護師さんによる採血前の儀式のテンポは様々で、そのリズムの違いを味わうのも1つの面白さで。採血という同じ行為でも、かくもこんなに違いが出るという。ちなみに今回の人は間合いが独特だった。

 注射の際は、できるだけ注射針を見るようにしている。私は針を凝視する。針の中、管と目が合った。ぽっかりと空いた先端の空洞。ぶすり。透明なチューブの中をずるずると血が流れていく。赤黒い私の血。へー、生きているんだ自分、とほんの少しだけ心が動く。

 今回から翼状針(名称は帰ってから調べた)というものになったので、注射針で一定量まで採った血を看護師さんが手際よく容器に流し込んで分けていく。刺したところにパッチを当ててもらい、圧迫ベルトを巻いて採血はあっという間に終わってしまった。

 針の先端と目が合ったな。

 5分間安静にするべく椅子に座りながらぼんやりとした頭で先ほどの空洞について考える。だから何?という感じではあるのだけど。

 健康診断はシステマティックに進んでいく。あまりの正しさに私は落ち着かない。一方通行の淀みない流れに竿を立てたくなる。天邪鬼な部分が疼き、こうして私は洞について考えるのだった。

 

 生きることについて意識しなくていいのは、砲弾が飛んでこない場所に住んでいるからで、それを「恵まれているから」と表現するのに私は少し躊躇う。恵まれているというのはどの点で? ある一つの事柄を比較するなら、もしかしたら恵まれている/恵まれていないと判断できるかもしれないが、何を以て恵まれているか、私たちが理解できる日は来るのだろうか。

 採血のとき多少わくわくするのは、針が血管に刺さるという物珍しさと、自分の身体の有限性に直面する機会であるから。

 私は生きている。とりあえず。誰の為でも、何の為でもなく、生きている。やってられねえなあ、と思いながら、しかし死ぬことは怖いし、命は惜しい。