夜の散歩

 半袖が好きだ。半袖が好きだから春も夏も秋も冬も半袖を着られたらいいのに、と思っている。
 けれども夜風が冷たい季節になってきた。当たり前に半袖の私は、黒色のパーカーを取り出してささっと羽織る。ちなみに私は黒のパーカーも好きだ(パーカーについては一回書いたことがあるから二度目の登場である)。半袖と黒のパーカーがいいじゃないか、と、いつも思っている。世の中には服がありすぎる。

 外に出ると、しんとした静けさが満ちていて私は少し笑った。両手をパーカーのポケットにつっこんで歩き始める。
 影がうごいた。街灯の光に照らされ歩くたびに現れては消えていく。当然、光の強さは昼間の方が強いだろうに、影の存在を強く感じるのは夜で、私はそれがとても不思議だ。
 あ、あそこに影、と思ったら消えた。そして今度はこちらに影。規則性のない、しかし必ず私の周りをうろついている様は、まるで私と戯れているようだ。

 アジカンの『架空生物のブルース』を聴きながら歩くことにした。
 この「聴きながら歩くことにする」という決定が面白いと思う。そういう決め方を時々する。この曲を聴くぞ!と思って聴くときが。
 人々のアジカン像を私は想像するしかないけれど、おそらく『架空生物のブルース』は人々が思い描くアジカンのイメージとは少し離れた曲だろう。言っておくけど、そのことと、私がこの曲を好きな理由との間にはまったく関係がない。じゃあどうしてアジカンのイメージの説明を入れて予防線を張るような書き方をしたのだろう。まあ、アジカンらしいと言えば『リライト』とか『君という花』とか『ソラニン』とか『遥か彼方』とか? 「らしさ」なんて言葉、好きじゃないけどね。
 この曲『架空生物のブルース』は、夜、一人ぼっちで聴くのがいい。何もない空白にそっと傍らにいてくれる曲が多分私は好きなのだ。そういう理由。

 ポケットに手を入れて、なおも私は歩く。頭が少しクリアになる。今日は火曜日? そう・・・。明日もやることがあって、私が知らない、予想だにしないことが起きる、そういう世界が始まるというわけだ。まったく、とんでもないな、生きるということは。