デコ・バインダー

ゼロ

 身体と精神ではなく、肉体と脳にあえて分けるなら(脳は肉体の一部であるというのはその通り)日々の生活では脳的疲労が肉体的疲労を上回る。おそらく幼少期は動き回っていた分肉体的疲労の方が上だったと思うし、高校時代は脳的疲労と肉体的疲労が同じぐらいだった。

 脳みそが疲れることが常態である分、時々極度まで肉体を追い込みたくなる。エネルギーをゼロにしたいという欲求。それほどやるわけではないけれど、サウナやヨガの感覚と近いのではないかと思う。15kmぐらい黙々と歩くとか、ちょっと遠くまで出かけて一日中ふらふらと町を歩いたりとか、そういうことをする。

 どこにも行く気分でもなかったし、きっとどこもかしこも人でたくさんだと思ったので、家の近所を1時間ほど走ったり歩いたりした。エネルギーをゼロにするぐらいの負荷はかけられなかったけれど(それこそ10kmぐらいは走らないとならない)ほどほど疲れることができた。ああ、そういえば泳ぐことも疲れますね。あれは本当に疲れる。陸で生活していてあれほど疲れることもないなと思う。

 

たまねぎスープ

 家にたまねぎがある。たまねぎがあるのでスープを作ろうと思い立つ。皿に皮を剥いたたまねぎを入れてラップをかけて5分加熱。その間に小鍋に水を入れて火にかける。本当はベーコンをオリーブオイルで炒めるのだけどベーコンもウィンナーもないので仕方ない、たまねぎで勝負する。レンジで加熱し終わったら鍋にたまねぎを入れてコンソメを入れて3分煮て胡椒を振って必要とあらば塩味を足して出来上がり。

 たまねぎ丸ごとスープは初めて。スプーンでたまねぎを崩していくと独特の感覚。ぐにゅっとしていてサクッとしていてほろっとしていて。たまねぎは層でできているのよなあ…なんて当たり前のことを思いながら、ぐずぐずと押しつぶしていく。襖をどんどん開けていくようなイメージが浮かんだ。その奥には何が。別に何もない。スプーンがコトリと皿の底にあたる。たまねぎは熱かった。はふはふと食べていく。いいじゃないか、たまねぎスープ。これからも作ろう。

 

ミス・マープル

 アガサ・クリスティーの『スリーピング・マーダー』を読む。章が短いので、1章終わるたびに腕立て伏せをする。時々そういう本の読み方をする。

 ミス・マープルの頭の中にはおそらく長年更新されてきた人物批評データベースがあって、それは事件の度に登録・参照される。彼女のすごいところは、そんなデータベースを持ちながら人間として嫌味がないところ、絶妙なバランスを保っていることにある気がする。知識を持てばそこに飲み込まれる人もいるものなのに。

 

デコ・バインダー

 新聞記事にカッターを入れていく。その瞬間、私はメスを持った外科医みたいだ、と思う。ただし社会にメスを入れるほどの気力も知識もないが。

 手で書くことが好きなのでデジタルではなくアナログになってしまう。そしてノートが増えていく。A5のバインダーとルーズリーフがあったので、その日の新聞で気になった記事について1記事1枚コメントを書く、ということを始めた。どうせそのうち飽きるだろうなと思いながら。どうしてそんなことを? 自民党四役って何かな? と思って(ちなみに、党四役は幹事長、総務会長、政調会長選挙対策委員長で、与党だった場合総裁は政権運営が中心となるため、総裁に代わり党運営をしていく役職)。

 テンションをアゲる為に、バインダーをシールでデコレーションしていく。K-POPアイドルのCDを買った時に入っていた使っていないシールがあるのだ。裏表紙にごちゃごちゃと貼られたアイドルグループのロゴやら落書きシールと、新総裁による組閣の新聞記事。温度差がありすぎる。しかし、その温度差こそ、現実。にしても、ぺたぺたとシールを貼りながら、美的センスが私には無いなと悲しくなった。本当にセンスがない。

 

代謝

 紙の日記が書けていないので、すなわち停滞しているってことだろうなと思う。まあ、そういうものなのでこれを書き終わったら日記を書く(このブログは日記ではない? うむ、日記ではないな)。