出かける。
駅のホームで電車が来るのを待っていると、向こうから作業員が二人ほど線路を歩いてくる。蛍光グリーンの旗を片手に持ち、ヘルメットを被り、作業服を着て。周囲の人もそれに気づく。大丈夫なのか?電車を待つ人々が皆心配そうにしているのが怪訝そうな顔つきでわかる。電車到着のアナウンスがホームに響く。大丈夫なのか?ちょっとドキドキする。作業員の人は堂々とした足取り。大丈夫であった。作業員は行ってしまった。空気が弛緩する。
電車に揺られながら自分は飢えていると感じる。何に?何にだろうね。「ひらく」と「とじる」について考える。この二つのバランス。生物の授業を思い出す。気孔の仕組み。
今日は風が強い。風が吹いている。
歩きながら「幸せだ」と感じる。満ち足りた気持ちだからこそ「生きたくない」という考えが浮かんで消えてくれない。つまりそれぐらい歩くことが楽しいということだけれど。「消えたい」でも「死にたい」でもなく、「生きたくない」という言葉がふさわしい。このままどこにも帰らないでずっと歩いていけたらいいのに。
天国など信じていないのに、この階段は天国に続いていると思いたい自分がいて苦笑する。当たり前っちゃ当たり前だけれど、川の上に遮蔽物はない。川は風の通り道。そして空に開かれた場所。例えば山頂とは異なり、世界と高低差がなく平行してクリアという感覚。山のてっぺんはどうしても「見下ろす」ことになってしまう。私は川岸が好き。
波のゆらめきが綺麗。ちろちろと光る銀の波。比較的大きな河を渡るときは、その川幅がどれくらいか目算してしまう。300mなら50mを6本分だなとか。河川を渡るときは落ちることをどこかで想像してしまう。うふふふふー綺麗だなーと思いながら川面を横目に橋を渡る。
時々、倒れたいなあと思うことがある。大体どこかに行った帰り道のことだから夜が多い。けっこう真面目に倒れてみようかしらと思ったりする。誰もいないタイミングを見計らって。ただ、倒れてみたいのはアスファルト一択で、芝生とか砂利道とか土がむき出しになった道はお断りなのが面白い。アスファルトに倒れたい。頬で感じるざらざら感。太陽に温められてこの時期は温いと思う。倒れたい!しかし倒れることができない。仕方がない。私より先に倒れていらした柵の写真を撮る。
未開封のアサヒドライが現れた。未開封はレアキャラなので、立ち止まってしゃがんで一眼レフを向ける。誰かに飲まれるといいけれど。このアサヒドライは今夜も誰にもプルタブをあけられることなく夜を越すのだろうか。
カメラを携えて散歩をする。心惹かれるものがなんとなくわかってくる。路地、水、影、木々。特に影の写真は好き。影は境界だから。光と影のあいだにあるものが気になる感じ。自分の目線が「前」ではなく「斜め下」なのが撮った写真を見ているとわかる。というか、自分が選ぶ写真を並べるとわかってしまう。「斜め下」には色々面白いものがある。斜め下、いいじゃないか。
寺にたどり着く。おみくじが100円だったので引いてみることにした。お金を入れる箱の近くにアルコールスプレーがあって、時代だなあと感じる。凶だった。占いも信じないしおみくじも信じないから凶であっても大吉であっても構わないのだけれど、一応指定された網みたいなところに結んだ。結ぶ最中に紙がちょびっと切れて、切れ端は持って帰ってきた。あんまり気にしてない。
寺社を訪れると、自分の願いと対峙せざるを得ない。「そうなればいい、そうであればいいと思うことの実現を望む」が「願う」ということ。本来なら、何か願い事があって人は寺社を訪れるものだけれど、私の場合は、自分には明確で具体的な願い事がないことを「神様」を前にして改めて自覚する。コロナ禍が収まる為には、市井に生きる人の意識と、予防と、人々を守るための体制の整備と具体的な政策があってこそであり、願うことでは解決しない。思えばお守りを買ったことも、もらったこともなかった人生だった。願いがない=愛がない?100%そうであるとは言えないけれど、自分としては薄情だなあと思ったりもする。地に足つかずとも、自分はともかく、誰かの幸せを願わないのか?と。
願わないのは「願ったところでな」と思うからであり、「神様」とやらは私たちを守ってくれるわけではないと思うのだ。守られた気がするだけ。でも願いを自覚することは悪いことじゃない。むしろ自覚した方がいい。自分が何を求めているのか、何に魅かれているのか、何を大切にするのか。言語化しよう。とは言いつつ、恩田陸の新著『灰の劇場』を読みながら、人間と言うのは、言うて自分のことも他人のこともわかっていないよね、ということを考えさせられる。確かにその通りなのかもしれなかった。わかってない。わかっていないから、決めつけずに色々なことを考え実行するのがいいのかなと思った。私の願いは、なんだろう。できるだけ歩くこと。それを書くこと。勇気を持って。
帰り道はまったく別の駅から帰ることとした。途中、風に乗って甘い香りと白い花びらが流れてきた。どこかで梅の花が咲いているらしい。梅の匂いは桜より濃く鋭い。目的地をお寺にしていたから、帰りはダラダラと歩く。ヘッドフォンで音楽を聴きながらふらふらと。これからの季節は[Alexandros]の『ハナウタ』がぴったり。
静謐なお散歩。